諏訪神社に向かう。諏訪神社といっても、上社本宮、前宮、下社春宮、秋宮と4つあります…。
信濃国一之宮諏訪大社は、諏訪湖の南北に二社ずつ四ヶ所に分かれて鎮座する、独特の形をもったお宮。昔から諏訪大明神、お諏訪さまと親しまれ、雨や風、水の守り神として竜神の信仰も古く、国土開発、農耕生産、海運招福、交通安全の守護神として篤く崇拝される。
諏訪大社の諸祭儀の中でも、有名な大祭、御柱祭、またはおんばしら。寅年と申年の七年毎に行われるもので、その行事が特殊であり、規模が雄大豪壮であるところから奇祭の一つにあげられている。起源は遠く古代、804年桓武天皇の御代からは信濃国一国の総力をあげて奉仕がなされるようになり、武田信玄もこの祭りには特に力を入れたと記録に残る。今ではその奉仕が、諏訪地方一円約五万世帯の氏子総参加へと範囲が縮小されている。
御柱祭は御社殿を造り替えること、その御社殿の四隅に奥山から伐り出す大木(おんばしら)を建てることの二つに大別される。上下四社に四本ずつ、16本の柱が立てられるが、明治以後は樅の木が使われ、上社の八本は約25キロ離れた、八ヶ嶽の中腹御小屋山の社有林から、下社の八本は霧が峰高原に続く国有林から約12キロの里程を引き出す。独特の木遣り歌と共に1本の柱につき千人から、二、三千人の人々が曳行するため、身分の上下なしに人々の和が必要とされる。急坂を引き落としたり、川を引き渡したり、けが人が出ないほうが不思議と言われ鵜ほどに、荒く勇壮な行事として知られ、このお祭りには数十万人の観衆を動員し、ために、「人を見るなら諏訪のおんばしらに行け」とさえ言われる。
柱を建てる理由については多くの説があるが、主なものに、祭場の表示、本殿の代わり、社殿建替の代わり、神様のお降りになる柱等いわれている。