1日目です。 >>2日目
この頃はまっている長野への旅です。今回は戸隠神社、諏訪神社、そしてどこか棚田を見られたらいいなと出発です。今回の宿は、食事の取り回し鉢で訪ねてたかった野沢温泉の旅館に泊まります。
関越自動車道にて、藤岡JCT、更埴JCT、須坂IC、途中、上里SAで休憩します。関越に入ってすぐ事故渋滞に巻き込まれますが、その後順調。
上里SAではこんなおいしそうなレストランの写真。朝食用にパンを買う。
奥社まで片道40分の道のりです。両脇をうっそうと茂ったスギの木の日陰状態で気持ちよいです。が、スキーのストックをもった人がいたり、ご高齢の方々は見かけず。軽い気持ちで臨んだため水分ももたず…。口ゆすぎで生き返るほど、喉が渇いています。
ずんずん進みます。樹齢四百年の木々です。
岩から生えている樹も。(左地図は奥社参拝図、右地図は戸隠全図。クリック拡大)
随身門(旧仁王門)
やっと、到着の奥社、背面は岩。
戸隠神社の本社。尼の岩戸を開け戸隠へと投げた天手力雄命(あめのたじからおのみこと)を祀る。嘉祥2年(849)学問行者開山以来、幾度の雪崩にあいつつも霊場は守り続けられた。
九頭龍社は隣
奥社本殿左にあり、戸隠の地主神・九頭龍大神を祀る。生命の源である水を司る神として広く信仰を集め、その信仰は現代に続いている。五穀豊穣、心願成就を祈る。
車で中社まで下ります。こちらで、ぐっと観光地っぽくなります。駐車場から入るので、たぶん正門ではない。
天岩窟にこもった天照大神を、神楽によって再び外にお誘いした智恵の神様・天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)を祀る。三本杉や古木、滝の音が響く境内の厳かな雰囲気が、訪れた人々を厳粛な気持ちにさせる。
そしていよいよお昼です。中社前のうずらやさんです。行った途端、外で待つ人々。1時間半待ちです。こちらを予約して、お参りするべきです。
先ほどの奥社参りの休憩も兼ねて、待ちます!!
お店の方々がとても感じがよく、大きな声で「お待たせして申し訳ございません。」と発しています。ちっともいらいらしません。って、ノンアルコールビールを飲んでます。
待ち時間、どこか席を外していても、その後戻ってくれば、すぐ次に呼んでくださいます。店頭では、蕎麦やお饅頭、野沢菜、蕎麦味噌を売っています。
近くのお店も行列ですが、こちらがいちばん並んでいたようです。
1時間半後着席。野沢菜、わさび、もり蕎麦が運ばれてきました。天ぷらは野菜とキノコです。どれもおいしい〜。
今日はどれだけ階段を上る?みたいな。
康平元年(1058)より続く、静かで荘厳な社。神仏習合時代の様式を伝える江戸末期寺院建築。天表春命(あめのうわはるのみこと)を祀り、技芸、安産、厄除け、家内安全を祈る。
戸隠神社最後の火之御子社です。目立たず車で一度行き過ぎてしまいました。
艶やかな踊りで天照大神を天岩窟からお出ましいただいた、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀る。光明に満ちた世を願い、芸能上達や縁結び、火防を祈る。
三門、本堂側から。
上に上れますが有料。
国宝善光寺本堂は宝永4年(1707年)に再建され、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている。間口24m、高さ30m、奥行き54mという壮大な伽藍は東日本最大で、最奥部にある仏堂の手前に広大な礼堂(らいどう)を繋ぐ棟の形が、鐘を叩く撞木(T字型)に似ていることから「撞木造り(しゅくもくづくり)」と呼ばれている。裳階(もこし)を廻らせた二重屋根は総檜皮(ひわだ)葺きとして日本一の規模を誇る。
←善光寺三重の塔?日本忠霊殿。資料館として使われています。
そばの御嶽神社
洗濯している人も。よくNHKのニュースでこんな風景を見かけます。野沢温泉のシンボル麻釜(おがま)。以前は大事な生活用品だった麻をここで煮て、皮を剥きやすくしたところから麻釜とあらわすようになったとか。大量の湯を湧出するう源泉で、幾つかの湧出口があります。今でも近在の人が野菜や卵を茹でます。
おみやげものや。ぜんまいを売っていました。
夕食の時間
地ビール
紅鱒の東寺風天ぷら
湯葉まきになっているのが
京都風らしい
野沢菜は、葉にくるまれて登場。
お品書きに、郷土料理取回し鉢。きくらげの山家煮、煮豆(花豆のふっくら煮)、芋がら田舎風おいしそう。