「未来への診断書 水俣病と原田正純の50年」 日本 54分 監督:安松直朗 制作:熊本県民テレビ
2012年6月11日、私たちは原田正純さんという「宝」を失った。水俣病の患者さんたちにとって、原田さんがいかにかけがえのない存在だったか、この映像が教えてくれる。7月31日、水俣病救済策への申請が締め切られた。理不尽な患者切り捨てである。患者さんに寄り添い続け、その無念さを、怒りを、代弁し支えてきた原田さんの遺言を伝え、水俣へ想いを寄せるために。追悼上映。
熊本では有名人の原田さん。精神科医。漁師の家、患者を訪ねると、「熊大ノ先生モクルナ」と貼り紙。記事になり、魚が売れなくなり、生活が苦しくなる。隠れるように暮らす患者たち。認定患者、お腹の中で「ようなったものはおらんし、死んでいくばっか。」胎児性水俣病の子ども、4才まで歩けず、胎盤でもって毒物を通さずといわれていたが、子どもが毒を吸い取ってくれたに違いない。徹底的に調べる。鹿児島県長島町にも水俣病患者。妊娠した子ども5人中3人死産流産し、認定受けたら恥。
水俣病の特徴、手足感覚鈍く、痺れ、視野狭い。
原田医師、医者として偏っている、常に患者側と非難される。ありがたい批判と受け止める。患者側でない医学があるのか?中立とは?医師として水俣を語り継いでいく。対立の歴史、国・県とチッソ認定基準を盾に争う。
鳩山総理、基本合意が成立。お金を払うことが償い?償いの一部である。
国は不知火海に住む人を調査しておらず。患者の掘り起こしのため、全国から140人の医師が集まり、20〜90代の1000人の健診が行われる。
原田医師は一方で、水銀の被害を受けるカナダ、アフリカタンザニア、アメリカに出向き海外調査30年以上続ける。カナダオンタリオ、居留地に追いやられた先住民族、川で魚を捕って暮らす。水俣病と共通の症状。
水俣、胎児性水俣病の患者が今50代前半。再会、脳梗塞、食道ガンになった原田医師を心配する。「いつのまにかみんな車椅子、老化が早い。」と原田医師も心配する。
鳩山総理参加の慰霊式、一方で患者主催の慰霊式。過去でなく未来の問題。
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