笑顔のスリーショット!
以下は、2代目社長林幹雄さんのお話です。
ワイン発祥の地は山梨。明治5年、松本でワイン作りの申請されるが、一手販売申請で認められず。
その後、松本郊外のヤマベで明治23年ブドウの木3,000本が植えられる。売れずに倒産。3人引き継ぐがまたもや倒産。
父は岡谷製糸工場の次男坊で、結核で小田原で療養。興津?農業試験場に遊びに行き、果樹を勉強。20才で岡谷に戻るが田舎に行け、と塩尻へ。(結局、102才まで生きる。)
ありとあらゆる果樹を育てるが、ブドウと梨(20世紀)のみが育つ。
大正8年ワインを作る。コンコード、今は加工用だが、当時は売れた。ワイン作り、越後の川上ぜんべいが指導。
戦争中、ワインに石灰をいれ、軍需工場に出す。飛ぶように売れた。550ml×25本の木箱、女性が2箱担ぎ運ぶ。
終戦、ワイン売れなくなる。日本のワイン、糖度が低い。10度から11度のブドウでうまいワインができるわけがない。腐る、ワインビネガーになる。5年間開店休業。
昭和25年、砂糖を輸入できるように。甘味ぶどう酒。砂糖を加えてワインを作る。爆発的に売れる。
ハチぶどう酒、サントリー、メルシャンにワインを流す。(10%ワインを入れなければならない。)
昭和45年、売れなくなる。上記の会社がいらないとのこと。果汁として、食品会社がジュースを欲しがるように。
輸入自由化。日本のワインのほうが高価。
昭和45年、大阪万国博覧会、テーブルワイン(甘くない)が売れるように。長野は観光県のため、白馬、上高地、蓼科、御岳、駒ケ岳ででも。
大阪、山梨、山形のワイナリーを回る。メルローだけは作れる。
スロベニア、リュブリアナで大金賞を撮る。
温暖化のせいでよいブドウができるようになる。山梨では温度が高過ぎる。湿度が高い。(→病気になりやすい)
(聞き書きのため間違いがあるかもしれません。)
購入のワイン、メルロー4本。あとジュース1本でも買えば送料ただになったのに、店員の方、助言なし。また個別袋もなし、というのは配慮がないです。
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ワイナリー、偉大なる醸造者たちの話を聞けた充実の旅でした。片山本店主催の旅、以前は酒屋さんを連れての旅が多かったようで、酒屋さんの参加者も多い。その人たちはご夫婦、家族で参加されて。
国産ワイン、見直しました。
雨の中、タクシーで駅に移動。特急は30分後。駅改札口横の蕎麦屋です。
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